テレビドラマと五斗米道
世間話は体験談や実話として語られる民話である。昔話、伝説、世間話の違いを表にすると以下のとおりとなる。神話はその国の由来などを説き、より広い世界を語る点で、実在の人物の行状について語る伝説とは区別されるが、場合によってはその区別が困難になる。登場人物が全くの架空であるのか、ある程度の裏付けのあるものかの区別がつかない場合があるからである。たとえば日本神話では国産みや天の岩戸は神話で問題ないだろうが、神武天皇の話になると伝説と見なす立場もあるであろう。フィンランドの民族叙事詩であるカレワラでは、主人公格のワイナミョイネンらについて、神であるのか古代の英雄であるのかという議論がある。
29歳のとき、科挙の第一段階の解試において首席で合格したが、これが運悪く権力者秦檜の孫である秦塤を差し置いたことになり、中央試験である省試において横やりで不合格にされるという妨害を受けた。これにより科挙に及第するための資格を奪われ、エリートとしての出世の道を閉ざされた。しかし陸游は秦塤には遺恨はなく、後年陸游が四川に赴任する道中、建康に隠棲していた秦塤の邸宅を訪れている。秦塤も滞在中の陸游一行を厚くもてなしたらしく、陸游の家族に病人が出たとき、医師を呼んだり薬を届けたりしている。1158年に秦檜が亡くなると、34歳のとき福州寧徳県の主簿として、初めて出仕する。2年後、中央に呼ばれて文書を扱う役職に就き、孝宗が即位すると直々に進士の資格を賜った。金領内の民衆に決起を促す機密文書などの起草を担当したが、張浚の北伐が失敗して講和派が力を盛り返すと、普段の積極的な発言が仇となって地方に転出させられた。隆興府の通判となった後、張浚の強硬論を支持していたために免官となり、故郷の近くく三山に居を構え、4年近く田舎で暮らすことになった。1170年、虁州の通判に任命されたので、任地に赴くため5ヶ月かけて長江を遡った。そのときの紀行文が『入蜀記』である。虞允文が宰相になり、政府中央で主戦論が高まると、四川宣撫使となった王炎に招かれて配下となる。陸游は張りきって偵察などの任務を精力的に行うが、中央でまた講和論が強まったため王炎は中央に呼び戻され、陸游は蜀地方各地の知事代理を転々とすることになった。四川制置使の范成大の部下となり、身分の差を越えて親しく詩を交わすなど交流したが、そのことを含め、普段の態度が周囲から放埒にすぎると非難され辞職する。このとき号を放翁とし、成都の地で寓居した。
タイトルの後ろに副題が付く同社作品の信長の野望シリーズとは異なり、作品ごとにタイトルの後に番号が付く形式となっている。後漢末期から三国時代に掛けて、中国大陸に割拠した君主の一人となり、中国統一を目指す。基本は戦争により敵君主の支配地を攻め取って行くが、計略や外交などを駆使し、敵を弱体化させることもできる。また、農地開発や商業投資などを行い、税収を増やして行くのも基本。『信長の野望』とは異なり、シリーズ第1作から配下武将の概念が存在し、優秀な人材を在野から登用し、あるいは他勢力から引き抜き、活用することが作品の大きな柱となっている。第2作までは、一部の君主はプレイヤーが選択できなかったが、第3作からは全君主を選べるようになった。作品によっては、君主以外の人物を主人公に選ぶこともできる。また、『三國志II』以降は「新君主」としてプレイヤーの作成したオリジナル人物を君主として登場させることができるようになり、作品を経るごとに、オリジナル人物を初めからゲームに登場する人物の血縁関係にするなど、細かく設定できるようになっている。
もう一方の科差は戸に対して課せられる税で、更に糸料と包銀とに分かれる。糸料は最高で絹糸を22両4銭を収め、包銀は銀6両を収めた。包銀税は、モンゴルの王族・貴族が国際商業に投資するために当時の国際通貨である銀を集める目的で設けられたが、結果として中国史上でははじめて、税の銀納を義務付けた税となり、銀と、のちに銀と換算される紙幣として流通される交鈔の通貨としての地位を高めた。一方、江南の方では、南宋から引き継いだ両税法をそのまま用いていた。両税法では、各戸が夏に木綿などの物産、秋に穀物を、それぞれの資産に応じた額で年に2回納税する。しかし、これらの農村からあがる税収は、基本的に地方の政府機関で使われ、中央政府の歳入は穀物よりも銀が重視された。そのため、先述したように、元は中央の歳入は専売や商税などの商業活動からあがる収入にほとんどを依存していた。