行政・治安関連と専売制
一方で登場人物を絞り込んだことや勧善懲悪の強調によって一部人物の性格や言動が演義と比較して大幅に変えられている点があり、呉将呂蒙の扱い等が顕著な例であった。この作品は、こういった点が批判される事もあった。最終回のラストは紳助・竜助が視聴者にこれまでの視聴に対するお礼を述べた後、人形達に代わって挨拶をしようとしたところ劇中から飛び出してきたほぼ全ての人形達がそろって「ありがとうございました」と言って手を振るという演出であった。この作品では、1人の声優が何人もの声を当てている。同じ声優が演じている人物同士で会話する場面もある。また、話によって声優が異なる登場人物も存在した。
前述したように西晋では老荘思想が流行し、竹林の七賢と呼ばれる人物たちがいた。ただしこの七賢とは後世の人物が並べただけのことであって、この7人がグループを作っていたわけではない。この七賢のエピソードは宋期に纏められた『世説新語』に数多く載っている。「ケチのあまり、果実を売るのに種をくり貫いて売った」などという小話のようなエピソードが多い。また戦乱の時代の中で仏教が飛躍的にその勢力を伸ばした。
反逆の罪を着せられた鄧艾の名誉を回復したり、敵である呉の皇帝孫皓の命を助けるなど温和な対応をしている。高官の者に対する賄賂がはびこり、九品官人法批判で知られる劉毅は司馬炎を後漢の桓帝・霊帝に引き比べて批判した。また、司馬炎が皇族をあちこちの王に封じた上で軍権をも与えたことは、かえってこれら皇族間の争いを誘発することとなり、八王の乱の遠因となった。異民族に対して何ら対策らしい対策をしなかったことも、これら異民族が華北で争乱を起こす原因ともなった。また、賈妃に騙され暗愚な息子であった司馬衷を次期皇帝としたことも、八王の乱以降の混乱を引き起こした原因ともなった。そして、後宮に大量に女性を集めるといった行動は結果的に民衆の生活を苦しめることにもなった。
第4代和帝は9歳で即位し、皇太后竇氏が垂簾政治を行い、その兄の竇憲らが専権を奮った。その後、和帝は宦官の力を借りて竇憲たちを誅殺する。これが後漢の外戚と宦官の台頭の初めである。その後、第6代安帝の代にも和帝皇后の鄧氏一族粛清があり、第8代順帝の治世が開始するにあたっては皇后ら閻氏一族が宦官によって粛正されるなど、外戚と宦官との間で皇帝の擁立合戦が続く。第11代桓帝の時に、順帝の外戚であった梁冀が滅ぼされて以後は宦官が優勢となり、外戚勢力は一歩後退する。地方権力を代表する豪族・外戚と中央の皇帝の側近である宦官との権力対立は深刻な物となり、豪族側は自らを清流・宦官のことを濁流と呼んで非難し、宦官側は豪族達を党人と呼んで弾圧して回った。