概説書と少女向け

しかし、明代の思想において最も特筆すべきはなんと言っても王陽明による陽明学の成立である。陽明学では心即理・知行合一・致良知を唱え、明代を通して思想的発展を遂げる。 明代後期、陽明学的土壌の中で三教一致説が隆盛を極め、中国思想界はかつてない程の進展を見せる。その一方で、1582年にイエズス会員マテオ・リッチらによってキリスト教カトリックがもたらされる。明政府高官の中には、キリスト教に興味を示した者も多数存在したが、それはマテオ・リッチの布教態度に負うところが大きく、彼の死後は宣教師たちのもたらした様々な西洋科学技術にこそ価値を見出すようになった。明人では、代表的なキリスト教信者として徐光啓の名を挙げることができるが、徐光啓は時の内閣の宰相として西欧文化の紹介に努め、西欧暦法に基づき、以後の中国における暦を改変した人物である。また、マテオ・リッチが作成した坤輿万国全図は、それまで世界の全てであった中国が地球の一部でしかないと言う事を知らしめたという点で、士大夫の世界観に大きな影響を与えた。このように、イエズス会は清代にまで政治・文化の上で大きな影響をもたらした。前述のようにこの時代には漢詩の分野では見るべきものが少ない。明初には古文辞運動が起こる。宋詩を批判して漢代の文・唐代の漢詩がもてはやされるようになり、『唐詩選』が刊行されている。しかしこの時代の詩文はどうかと言うと多くが単なる懐古趣味的な模倣に堕した感がある。

青龍 233年-237年 景初 237年-240年魏志倭人伝によれば「倭人は帯方郡の東南、大海の中に在る。山島に依って国や邑を為している。旧は百余国あった。漢の時、朝見する者がいた。今は交流可能な国は三十国である。・・」などとある。 卑弥呼を女王とする邪馬台国はその中心とされ、三十国のうちの多くがその支配下にあったという。

乾符 874年-879年 広明 880年-881年 中和 881年-885年

また演義だけではなく『三国志正史』や民間伝承、さらには『水滸伝』からもストーリーを取り入れている。放映時間も人形劇としては異例の1話45分という長時間に及ぶ。これはNHK大河ドラマと同じ長さで、人形劇の形態をとった大河ドラマとも言える。また専門の声優ではなく実力派の俳優を起用し、子供向け番組とは思えぬ重厚なドラマを展開した。先に台詞を収録しそれに合わせて人形を操作するプレスコ技法が使用されたほか赤壁の戦い等の合戦シーンでは人形劇では初めて本物の炎が使われ、より迫力のあるシーンとなった。また川や池などにも本物の水が使用されており、特に死を前にした劉備から後事を託された孔明が雨の中慟哭する場面では人形の頭部が水で溶けてしまう危険性があるにもかかわらず孔明の人形を実際に雨に見立てた水に濡らして迫真の演技をさせている。

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