ギャラリーと人口減少
肉類ではヒツジ・アヒル・ガチョウ・ニワトリ・ウズラ・ハト・ヒナドリ・ウサギなどが料理名として挙げられている。ブタは盛んに食べられていたのであるが、当時のブタ肉は蘇軾の『猪肉頌』に「泥みたいに安く、金持ちは見向きもせず、貧乏人は料理の仕方を知らない。」あり、安物として蔑まれていた。単に肉だけではなく内臓料理なども多い。魚介類ではコイ・エツ・フナ・フグ・ヒラウオ・甲殻類・貝類・ドジョウ・ウナギなどなど。野菜・果物もまた数多く利用されており、一部を挙げるとダイコン・ウマヤゴシ・シュンギク・タケノコ他多数。調理方法としてはおひたしや吸い物が多い。果物はウリ・モモ・ナシなどが食べられ、またレイシは高級品として珍重されていた。
台車の形状は地域や地区によって、車輪が台車の内についているものや外についているもの、車輪が木製のものや金属製のもの、車輪の大きさ、台車本体の木材の組み方などの違いがあり、数多くの種類がある。車輪の数としては四輪が一般的であり、それに補助の車輪がついているものもある。ほかには滋賀県大津市の大津祭での曳山や三重県北部の石取祭に使われる山車が三輪であり、静岡県森町から磐田市にかけての遠州中東部で引き回される二輪屋台、浜崎祇園山笠のように六輪あるものもある。また、それに伴って運行方法、運行形態も異なるものになっている。小城祇園においては、旧来は車輪がついていない山の下に丸太を次々に敷き挽いて運行するという珍しいものだったが、現在は普通に車輪のついた曳き山となっている。多くの場合、山車は人力で引いて動かすが、中にはエンジンやハンドルがついており自動車のように運転できるものもある。
以上の三教が国家公認の宗教であるが、その他にも民間では様々な信仰対象があった。例えば家の神として竃神が信仰を集めており、また農村では農業神が、街であれば城隍神が信仰されていた。他に地域の過去の偉人が祀られる場合もある。これら神の住まう所として社や廟が用意されるが、村の中心の物を村社・郷の物を郷社といい、村社の多くが農民たちによる自然発生的なものであるのに対して、郷社は士大夫や兼併など富民によって作られる場合が多かったようである。これら民間の信仰に対して、その規模が小さい間は、政府は特に口出しをしない。しかし規模が大きくなり、また規範の面で好ましくないと考えられた場合には「淫祀」とされ社や廟が取り壊される。更に規模が大きくなり政府にとって危険な存在であると認識された場合には「邪教」とされ弾圧の対象となる。
しかしその後も、突厥の残部はその後も度々唐に対して反抗し、682年に再び独立して突厥第二帝国と呼ばれる国を建て、モンゴル高原において再び自立した。しかし突厥は745年にウイグルを中心とした部族連合に攻められて滅び、ウイグルが突厥にかわって中央アジアから北アジアにかけて広がる遊牧国家を建設する。ウイグルは唐に請われて安史の乱に援軍を送って以来唐に圧力をかけ続け、また高原経由の東西交易を中継して武力を背景に有利な取引を行い、中国の富を吸い上げて盛況をきわめた。しかし8世紀にキルギスの攻撃によりウイグル国家が倒壊してから後は高原を統一する勢力は消滅する。唐は640年に高昌国を滅ぼしたのを初めとして、シルクロード沿いのオアシス国家を服属させて安西都護府を設置し、西域経営を行った。