1960年代と人々の生活

また、評価の定着したもののみを収めるという方針をとり、それに達しない、むしろアクチュアリティで注目されるものは、岩波同時代ライブラリー、現在では岩波現代文庫に収められる。すでに戦前期にも岩波文庫に続き、旧新潮文庫や改造社文庫を始め、文庫本を刊行していた出版社はあった。昭和50年代から平成5年に掛け、講談社学術文庫、ちくま文庫、ちくま学芸文庫、講談社文芸文庫、平凡社ライブラリーといった良質のシリーズが現れたために、岩波文庫は、戦前・戦後期のような唯一無二という地位ではなくなっているものの、古典的良書の継続的な提供という意義は未だ健在である。ただ、『紫禁城の黄昏』、『E・H・カー、危機の二十年』、『エドマンド・バーク フランス革命の省察』等のようにその翻訳内容に問題が提起される事もしばしばある。書店の立場から見た岩波文庫は、返品のできない買取での扱いとなるため仕入れにはリスクが伴う。そのために岩波文庫を扱っているか否かは、その書店の規模や傾向を判断するバロメーターと成り得る。 ただし、破損などによる交換は可能である。

アニメ化された作品も多く、『鉄人28号』で巨大ロボットアニメの歴史が始まり、『魔法使いサリー』で魔法少女アニメの歴史が始まったと言われ、事実上、これらのジャンルの市場開拓者ともいえる。『三国志』も1991年に『横山光輝 三国志』としてテレビ東京で放送された。1991年、『三国志』により第20回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞。受賞作『三国志』は、1971年から1986年までの15年の時間を要し、全60巻というスケールで劉備登場から蜀漢の滅亡までが描かれた大作である。『水滸伝』『三国志』以降、横山は日本や中国の歴史漫画中心に力を注ぐ事になる。それ以降から、手塚治虫が「漫画の神様」と呼ばれたのに対して、歴史漫画に全力を注いだ横山は、同業者や読者から「鉄人28号」にちなんで、『漫画の鉄人』と呼ばれるようになった。晩年は病気を患い、療養していた。療養中の2004年に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞した。同年4月7日『鉄人28号』が放送開始。4月11日 東京都古書籍協同組合が組合員を対象として14〜15日に開く全古書連大市会にて横山の未発表作品が入札にかけられると報道され、これに対し「売りに出されるのは不愉快」と発言していた。

中国の伝説上の聖天子は、血縁関係によらず有徳の人物に帝位を譲ったとされる。例えば、五帝と呼ばれる天子たちは、堯が舜に禅譲し、舜が禹に禅譲した。このような伝説は、儒家が過去を理想化する中で生まれた。実際の権力交代は武力による事が多かったと考えられるが、現在の権力に正当性を付与し、儒家の思想の根幹たる「礼」を成立させるためにこのような理想化が行われたと考えられる。太古は王位にさしたる利権がないがゆえに世襲とならず有力部族長の持ち回りだった、などの事情を反映している可能性もある。歴史上禅譲と呼ばれているものは、実際には簒奪に近いものであり、王朝の正統性を保証する演出として行われ続けた。

また、孝武帝以降の諸帝は乱れた政治を行なったため、ついに479年、順帝は、蕭道成に禅譲した。蕭道成は斉王朝を開き、ここに宋は滅亡した。対外的には、北涼・吐谷渾・北燕・高句麗を冊封下に置き、北方の柔然とも結んで、華北で有力だった北魏に対抗した。倭の五王による南朝への入貢の大半は宋の時代におけるものである。范曄は字は蔚宗と言い、幼い頃から学問に長じ、経書に通じて文章・音楽を良くしたという。宋の創始者・劉裕に仕えて尚書吏部郎となったが、左遷されて宣城太守になり、在任中の432年、『後漢書』を著した。ただし范曄が執筆したのは本紀と列伝のみである。志については、范曄が後に文帝の弟、劉義康擁立の事件に関ったことで処刑されたので書かれていない。後に南朝梁の劉昭は、范曄の『後漢書』に、西晋の司馬彪が著した『続漢書』の志の部分を合わせ注を付けた。このため現在伝わるのは、後述の李賢注と劉昭注の『続漢書』の志を合刻した北宋時代の版本に元づくものである。

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