社会・経済と諸国滝廻り

上記の理由により『晋書』は史書としての評価は低いものであるが、『三国志』に「地理志」が存在しないことから、三国時代の研究等において「地理志」に限っては『晋書』の記録が多用される傾向がある。宋の臨川王であった劉義慶は文芸を好み、多くの文学の士を集めては『集林』『幽明録』などの書物を編纂した。『世説新語』もその一つで、後漢末から東晋までの著名人の逸話を集め、その内容から三十六篇に分けて編纂したものである。それぞれの項目が「孔門四科」の徳行・言語・政事・文学を初めとしてジャンルごとに分類されている。基本的に小説集であり、史実とは言い難い話も少なくない。一方、この時代に生きた様々な人物の言動や思想を知り、同時代の世相を掴む上で貴重な書物と言え、取り上げられた人物が後代いかなるイメージを持たれていたかを推測することもできる。成立の背景としては、後漢末期から行われるようになった人物評論が魏晋期の貴族社交界でも継承され、過去の人物に関する伝説を一書にまとめようとする機運が高まったことが挙げられよう。とりわけ中心的な主題となったのは「清談」である。いわゆる「竹林の七賢」に代表される老荘思想に基づいた哲学的談論が、当時の貴族サロンでもてはやされたことを裏付ける資料ともなっている。

2年後に広忠は死去した。今川義元は織田信秀の庶長子・織田信広、安祥城を太原雪斎に攻められ生け捕りにされている)との人質交換によって竹千代を取り戻す。しかし竹千代は駿府に移され、岡崎城は今川氏から派遣された城代により支配された。墓参りのためと称して岡崎城に帰参した際には、本丸には今川氏の城代が置かれていたため入れず、二の丸に入った。このとき、鳥居忠吉から松平氏の御家人が今川氏の先鋒、事実上の捨石とされている事情を聞く。また、忠吉が今川氏に内密で備蓄していた武具・兵糧・金銭を見せられ、家康は感涙したという。古老の御家人は、祖父・松平清康によく似ていると感嘆したという。駿府の今川氏の下で元服し、今川義元から偏諱を賜って次郎三郎元信と名乗り、今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名を娶った。名は後に祖父・松平清康の偏諱をもらって蔵人佐元康と改めている。永禄元年には織田氏に寝返った寺部城主・鈴木日向守を松平重吉らとともに攻め、これが初陣となった。

これは朱熹を嫉視した官僚たちによる冷遇と見ることも出来るが、朱熹のこの弾劾が当時の状況と照らし合わせて妥当であったかどうかも疑問視されている。朱熹の弾劾文で指摘されている唐仲友の悪行が事実だとしても、当時の士大夫階級の官僚の中で唐仲友だけが飛び抜けて悪辣であったのかどうかは疑わしい。朱熹がなぜ唐仲友だけをこれほど執拗に弾劾したのかは不明である。 結局、唐仲友は孝宗によって軽い罪に問われただけであった。これに不満を持ったのか、朱熹はその後の何度かの朝廷からの召し出しを断り、かねてからの希望通り祠官に任ぜられて学問に専念するようになった。1189年、孝宗が退位してその子・光宗が即位するが、暗愚であったため、1194年の孝宗の死後、趙汝愚と韓侂冑らが協力して光宗を退位させた。光宗の後に寧宗が即位すると、趙汝愚の与党だった朱熹は政治顧問に抜擢された。しかし功労者となった韓侂冑と趙汝愚が対立し、趙汝愚が失脚すると朱熹も罷免されてしまい、わずか40日あまり中央に出仕しただけに終わった。その後の政界では韓侂冑が独裁的な権限を握る。1196年、権力をより強固にするため、韓侂冑らは朱熹の朱子学に反対する一派を抱き込んで「偽学の禁」と呼ばれる弾圧を始めた。朱熹はそれまでの官職を全て剥奪され、著書も全て発禁とされてしまった。そして1200年、そうした不遇の中で朱熹は71歳の生涯を閉じたのである。

桓温は当時簒奪の野望を抱いていたが、郡に居た習鑿歯は『漢晋春秋』54巻を著してそれを正そうとした。『漢晋春秋』は後漢の光武帝から西晋の愍帝までの歴史書であるが、三国時代については、魏は後漢から禅譲を受け晋に禅譲しているとはいっても簒奪した逆臣であり、司馬昭が蜀漢を平定して初めて漢が滅び晋が興ったものとし、天意は勢力があるからといって強奪できるものではないと主張した。その後、脚の病を患い郷里に帰ったが、襄陽が苻堅の手に落ちると、苻堅は彼の名を聞いていたので習鑿歯を彼の友人の僧侶道安と共に召し出し、彼らと語り合い厚遇した。習鑿歯は脚を患っていたため、苻堅は「晋が呉を平定した時には陸氏二人を得たが、今我らが漢南を破って得た人物は一人と半分だった」と各地に書を出した。その後、習鑿歯は襄陽に帰った。ついで晋が襄陽を奪還すると、朝廷は習鑿歯に国史編纂を掌らせるため召し出そうとしたが、ちょうどその頃に死亡した。臨終に際して上奏し、魏を僭称者とする自説への反論に反駁した。子の習辟強は才能や学問において父のような風格があり、官位は驃騎将軍従事中郎に至った。

戻る