ゲームと朱熹の登場

講談社は、朝日新聞社、東映、九州朝日放送などに次いで、テレビ朝日の1.36%の株式を保有する株主である。なお、講談社の野間佐和子社長は、1988年6月よりテレビ朝日の監査役を務めている。文学作品賞の江戸川乱歩賞について、両社は共に後援企業として名を連ねている。ライブドアとフジテレビとのニッポン放送株買収合戦に当たっては、講談社はフジテレビを支持し、株式公開買い付けでニッポン放送株をフジテレビに売却した。

この作品では、1人の声優が何人もの声を当てている。同じ声優が演じている人物同士で会話する場面もある。また、話によって声優が異なる登場人物も存在した。また殆どの登場人物は、他の登場人物から姓諱で呼ばれたが、劉備・諸葛亮・司馬懿の3名はほぼ終始一貫、字で呼ばれた。また作中で様々な場面に現れ狂言回し的な役割を担う紳々、竜々が登場する。

また、停滞していた儒教の方でも、変化の兆しが見られ始める。それは、韓愈の著した『原道』『原性』などの中に見られる思想で、堯舜や孔子以来脈々と続く「道統」論を提唱し、宋学の先駆となった。唐は歴代でも漢詩の最高峰とされる時代である。日本にも『唐詩選』などを通じて多く紹介されており、日本で漢詩と言えばこの時代のものを思い浮かべる人が多い。前代の六朝時代の余風を受け、繊細で華麗な詩風を身上とする修辞主義的な詩風が主流である。宮廷の詩壇における皇帝との唱和詩がこの時期の中心的作品となっている。代表的詩人には「初唐の四傑」と呼ばれる、王勃・楊炯・盧照鄰・駱賓王のほか、近体詩の型式を完成させた武則天期の沈佺期・宋之問などがいる。さらにこうした六朝の遺風を批判し、詩歌の復古を提唱して次代の盛唐の先駆的存在となった陳子昂が現れた。

武帝の後は3男の蕭綱が継ぐが、侯景は551年に皇族の蕭棟を擁立し、すぐに廃位して自ら帝位に着いて国号を漢とした。この乱の中で各地に散らばっていた諸王はそれぞれ自立して自ら皇帝を名乗った。その中でも荊州にいた武帝の八男・蕭繹は部下の王僧弁を派遣して侯景を滅ぼし、江陵で即位した。更に蜀で皇帝を称し、江陵へ進軍してきた弟の蕭紀を552年に撃破する。しかし554年に雍州刺史の蕭詧によって引き込まれた西魏の大軍の前に敗れて敗死し、蕭詧は江陵に入って皇帝となった。この蕭詧の政権は後梁と呼ばれ、実質は西魏の傀儡政権であった。また蜀一帯は既に西魏によって占領されていた。元帝が死んだ後、王僧弁とこれも元帝の武将であった陳霸先は建康において元帝の九男である蕭方智を擁立しようとしたが、東魏に取って代わった北斉がこれに介入して北斉の捕虜となっていた蕭淵明を送り込んできた。王僧弁はこれを受け入れて蕭淵明を擁立しようとするが、陳霸先はこれに反対して蕭方智をそのまま擁立しようとした。この王僧弁と陳霸先の争いは陳霸先の勝利に終わり、蕭方智が擁立されて敬帝となった。

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