ボードゲームと明治年間の流れ
宋代では大量の銅銭を発行するために大量の銅が必要とされた。当時の銅山には官営と私営とがあり、私営のものは産出した銅の一部を税として納め、さらに余剰分も全て政府が買い取ることとされた。しかしこの時代に既に中国の銅山の限界が見えており、新たな鉱山の調査が進められたがいずれも空振りに終わり、貨幣の増加に合わせるだけの増産は難しい状態であった。当時銅の精錬において、主流であったのは乾式精錬であったが、銅鉱石の質の低下によりこれだけでは十分な量の確保が難しくなった。そこで湿式精錬が実用化されることとなった。胆礬に鉄くずを反応させることで沈殿銅を得る。この方法を侵銅といい、得られる銅を胆銅という。中国において胆礬に鉄を反応させて銅を得る方法自体はかなり古くから知られていたが、北宋・元祐年間に至って張潜という者によって初めて工業化された。湿式は乾式に比べて質の悪い銅鉱石でも銅を得ることが可能であるという利点があり、乏しくなりつつあった銅産をある程度支えた。しかし銅鉱の枯渇という大問題の前には根本的な解決策にならず、北宋末から南宋にかけて銅銭の鋳造量は激減し、更に清代に雲南の銅山の供給を得るまでは、中国において銅銭は衰退せざるを得なかったのである。
現代中国で普通話と呼ばれる北京語が成立したのも清代である。本来北京周辺で話されていた言葉と東北地方の語彙が混り合ったものとなったため、北京語は他の方言とは異なる特徴を持つ言葉となった。絵画の分野ではイエズス会士ジュゼッペ・カスティリオーネによってもたらされた遠近法を取り入れた新しい絵画の誕生が見られる。また明初の石濤、八大山人といった明の遺民たちは清に対する抵抗を絵に描き表した。陶磁器の分野では景徳鎮は陶磁器生産の大工場としての地位を保っており、明代から引き継いで赤絵・染付などの生産が行われた。しかし乾隆以降はこれらは急速に下火になり、質的にも大きく劣ると評価される。
神戸市立太田中学校、神戸市立須磨高等学校を卒業。手塚治虫の『メトロポリス』に感銘を受けたことから本格的に漫画を志し、高校時代より『漫画少年』『探検王』などに作品を投稿するようになる。高校卒業後神戸銀行に入社するが、漫画を描く時間が取れず退職。映画会社の宣伝部員としてチラシを描く合間、貸本漫画や手塚治虫の代作『黄金都市』『ターザンの洞窟』に携わりながら漫画家を目指す。この時の経験が漫画家になろうとしたきっかけとなる。詳しい経緯や時期は不明だが、サンケイ新聞の「記者」をした事もあるという。1954年、貸本漫画会社、大阪東光堂の注文で貸本漫画を描いていた横山は、出版社の社長に連れられ手塚治虫の下に赴き、横山が描いた時代物『魔剣列剣』に目を通した手塚は「売れる漫画家」と判断、後に単行本『音無しの剣』で漫画家デビュー。手塚はそのデビュー当時を「かれほど『彗星のように』という形容のあてはまる男はいない」と評している。光文社『少女』にて『白ゆり行進曲』ではじめての連載を行なう。1956年、映画会社を退職した後、光文社『少年』に発表した『鉄人28号』が人気を博し作家的地位を確立。『鉄人28号』は『少年』誌上で手塚の『鉄腕アトム』と人気を二分するヒット作となった。この年より上京し、以降映画会社勤務時に多くの映画を見た経験を生かして、名作を次々と生み出した。この時、鉄人28号のヒットにより本気で漫画家になろうと考えたと語っている。『魔法使いサリー』などの例外を除けば連続物語を多く描き、笑いの要素のほとんどない、ある意味でハードボイルドな世界の構築を得意とした。連続する緊迫した物語の引力でグイグイと連載の最終回まで読者を引き込み続けるその手腕は、多くの読者の心を掴み、後進の漫画家・小説家・クリエイターたちにも多大な影響を与えた。連続物語を描く為に必要な、盛り上がり・緊迫感・娯楽性・絵の魅力・次回への引き等々の手法は、横山の十八番である。このスタイルは晩年まで変わらず、連続物語のスタイルの一つの完成形・理想形とされる。
遼との戦いから数十年が経過し、いまや楊家軍の当主となった楊宗保も既に白髪の老人となっている。このころ南蛮で儂高智が反乱を起こすと、狄青が派遣されるが負けて帰ってくる。そこで、宋は楊家軍の楊宗保とその息子・楊文広を南蛮征伐に派遣する。最初は順調であったが、思いのほか楊家軍は苦戦すると包拯の進言で楊家の女将軍が援軍に駆けつける。こうしてやってきた文広の姉、宣娘の仙術の活躍もあって、ついに楊家軍は南蛮平定に成功する。ちなみに、史実においては儂高智のおこした反乱は狄青により平定されている。なお、楊家将演義においてのちのちも狄青は楊家軍に敵対する役割を与えられている。ある日、仁宗が東岳におくった使者が女山賊・杜月英らに襲われ貢物が奪われるという事件がおきた。これにたいして楊家軍が派遣されるのであるが、途中で楊文広は杜月英の義妹である竇錦姑と戦って敗北、竇錦姑に「私と結婚しなければ殺す」と脅迫され、これを承諾する。さらに、文広は竇錦姑より10倍強いと言われる杜月英のとも結婚させられてしまう。だが、山賊は貢物を返してくれたので一応の一件落着ということで、文広は貢物を納めに東岳に向かう。